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「いのち誕生の法則」ルカによる福音書9:22~25 

いのちの起源
 生命の起源、DNAはDNAからしかできない。
人のDNAのはしごは約30億段あり、そのはしご段は4種類の塩基からなり、その4種類の塩基の並びで、すべての生物の形態、内臓、神経などの情報が書かれている。
では、どのように最初のDNAができたか?
文は文字の配列である。特別な配列(ことば)に意味(情報)がある。ではDNAの配列(情報、ことば)はどこから来たのか?

初めに、ことばがあった。
ことばは神(創造主)とともにあった。
ことばは神(創造主)であった。
この方は、初めに神(創造主)とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
   (ヨハネの福音書1:1~3)


なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、
また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、
すべて御子によって造られたのです。
万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。
   (コロサイ人への手紙1:16~17)


人は何のために生まれてきたのか?
 パチンコで大当たりをしてショック死した人のニュースがあった。このように、「好きなことをして死んだら本望」と言う人もいるが本当だろうか?私たちは好きなことをして死ぬために生まれてきたのだろうか?
 どんな物でも造られた本来の目的とは異なる使われ方をしたら、能力を発揮しないばかりか、壊れてしまう。私たちも「造られた目的」を無視して、名誉、権力、野心、お金・・・などを手に入れることばかりを目標に生きていたら、結局、自分で自分を滅ぼすことになる。
 本来は創造主によって目的をもって造られ、創造主に生涯導かれて生きていく存在であったはずなのに、人間は創造主を無視し、自分自身が全主導権を握って、自分で生き方を模索する人生にしてしまった。しかし、この状態こそが、自分のことしか考えず、人目を気にしてばかりの窮屈な(不自由な)人生であることに気付いていないのです。だから、イエス・キリストが必要なのです。
 イエス・キリストは、私たちを愛し、私たちに真の自由を与えるために来て下さいました。真の自由を得るために、もういちど「創造主と私」という関係を回復させ、本来の造られた目的に従って生きるように。そして、横(人間関係)だけ見た生活ではなく縦(創造主との関係)を見て歩むようにと。

イエスは、みなの者に言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、
わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
人はたとい全世界を手に入れても、自分自身を失い損じたら、
何の得がありましょう。
   (ルカによる福音書9:23~25)


 このことばは「取り引き」ではない。まず、イエス・キリストの方が先にいのちを投げ出してくださいました。そのお方にいのちを差し出せば(心を差し出す、心の結婚をする)新しいいのちが頂けるというすばらしい約束です。

「創造の証拠」詩篇139篇13-16 

1.進化論は科学で、創造論は単なる宗教的信仰でしょうか?
 進化論が本当なら、なぜ、今日、多くの第一線の科学者たちが、近い過去に世界が創造されたという立場をとっているのでしょうか。実際、現代科学のほとんどの分野は、この世界は創造されたという聖書の記事を信じる科学者たちによって基礎が築かれたのであり、また発展を遂げてきたのです。
2.しかし、科学とは?
科学の手法は、探偵や捜査官の仕事のようです。慎重に手がかりを集めて調べ、それらを推理してある種のストーリーに当てはめていきます。同一の証拠が多くの違ったストーリーに当てはめることが可能で、その査察官が信じている先入観や、根本にある考えに影響されてしまうのです。私たちは学校で、サルが進化してヒトになったということを「科学として」習いましたが、そのことを決してテストして検証できません。それが実際起こっているところを観測できないからです。 同様に、種類にしたがって繁殖するようにプログラムされた多くの動物が、創造主によって奇跡的に創造された、と言い切ることもできないのです。どちらの考えも信仰ですが、どちらかが真理です。
3.なぜ進化論は問題ですか?
1)進化論は無神論を正当化します
 進化論の前提は創造主がいないという信念です。すると、「もし、われわれを創造したものがいないのなら、われわれはだれのものでもない。それで、われわれ以外に規則を作るものはいない。たとえば、聖書に、盗んではならないという律法があるが、もし、聖書が単なる作り話なら、それに縛られる理由はない。」ということになります。
2)福音の意味を壊してしまいます
 もし、進化で言う歴史が本当なら、聖書の福音の意味は完全に失われてしまうのです。なぜなら、アダムの前に祖先がいて、闘争や死があったことになるからです。 イエス・キリストのよい知らせ(人々は、創造主との関係を永遠に回復できる)が真実なのは、私たちの祖先であるアダムの離反の結果、最初にあった創造主と人との調和が壊れてしまい、死ぬようになったという悪い知らせが全く真実である、ということによるのです。(第1コリント15:21~22)は、はっきりと福音をアダムがもたらした死に結び付けています。「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」
4.今日見られる多様な生命は、進化した結果ではないのですか?
 確かに生物は多様に変化しますが、進化論がいうように、別の種類に変化した例はありません。DNAは4種の塩基が暗号となって生命情報を蓄積していますが、ヒトのDNAは百科事典約1000冊分の情報を持っており、アメーバは1冊分の情報を乗っています。アメーバから、ヒトへ進化するにはおびただしい量の複雑かつ精緻な情報が付け加えられなければならないのです。もし、情報が少しでも増加するような変化を見つけたのなら、アメーバが哲学者になるという考えを支持しても、それは理にかかっているのです。しかし、そのような例は一切見つかっていません。
5.自然選択は進化ではない
 生物は、自分自身の中に持っている情報をコピーして、次の世代に伝えるようにプログラムされています。両親からは、それぞれが持つ情報の半分(毎回違う半分)だけがコピーされます。両親からの同じ遺伝情報が多くの違った組み合わせで分けられ、再結合することで、あらゆる生物種の集団に多様性をもたらします。単純な例として、中くらいの長さの毛の犬の両親から生まれた仔犬は、何匹かは両親よりいくぶん長く、何匹かはいくぶん短いでしょう。しかし、このような多様性が出現するのに、新しい情報が増し加わったのではなく、最初の二匹の犬にすでに存在していたことは明らかです。より長い毛の犬を選んで子孫を残していくと、短い時間で長い毛の犬ができます。後にその子孫はすべて長い毛を持つようになります。しかし新しい情報は増し加わっていません。それで、長い毛のものは、長い毛と短い毛の両方の遺伝情報を持っていた中くらいの毛の祖先よりも、短い毛の因子を失ったので情報が減少したことになります。
6.有益な突然変異?
 進化論では、突然変異、すなわち遺伝情報が偶然、かつ、でたらめにコピーされることで新しい情報が発生すると言います。そのような間違いは起こり、遺伝します。突然変異により、高度に入り組んだ暗号の中に、変異が起こって、病気や障害を起こします。
突然変異は圧倒的に、有害か、意味のない遺伝子の‘雑音’のいずれかでしかないことを進化論科学者らはよく知っています。にもかかわらず、進化は、時折‘上向き’の突然変異が起こったはずである、という仮定に基づいているのです。しかし、突然変異でできた、羽が不十分なガラパゴス鵜や目のない魚など、それが与えられた環境で生き残ったとしても、器官を損なったのであって、何ら‘上向き’の新しい情報が増し加わってはいません。ですから、突然変異で進化が起こるはずがないのです。
7.遺伝情報は増加しない
複写機やカセットテープをコピーすると、その情報は同じか失われるか、もしくは意味のない雑音が混じるかのいずれかであって、新たに情報が増し加わることはありません。自然界に観測できることは、すべて情報は壊れていく、ということに尽きます。すると、最初に完全な情報が揃って始まった時、創造の時があったはずといことになります。
詩篇102篇25-26)すべてのものは衣のようにすり切れます。
詩篇139篇13-16)あなたが私の内臓を造り、母の胎内のうちで組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それを良く知っています。私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれた(つづり合わされた)時、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
創造主は、初めに完全な世界を造られましたが、最初の人、アダムが離反するという罪ゆえにこの世界がのろわれ、宇宙もろとも、古び、滅ぶ世界となりました。しかし創造主は御子キリストの十字架によって、滅ばない世界へ回復の道を備えられました。これが聖書を貫いている原理です。(参考文献:創造の証拠、Dr.C.ウィーランド)

証し~ここは主におまかせする以外ない 

〔安井師の証し〕
 信仰を持ったとき、生活も祝福されるという期待がありました。受洗して、すぐに海外転勤し、そこで待ち受けていたことは、仕事において自力で解決できない問題でした。

 仕事は自分でがんばってきたという自負がありましたし、仕事と信仰は別物と考えていました。しかし、そこで起こったことは仕事で自分の存在性を失うという試練に直面し、主に解決を祈り続けることになりました。数年が経ち、解決を待ちきれず、良さそうに映った人に全面的に頼ろうとしてしまいました。主は私に起こった事と、第1コリント10:14~15のみことばを通して、人に頼ったことの間違い(偶像礼拝)を示され、その後ご自身が備えて下さっていた計画を成し遂げてくださいました。

 私は今、いっそうの試練の中にありますが、かつて主が私に成してくださったことが忘れられず、期待して解決を待っています。

〔メッセージのポイント: ルカによる福音書1:26~38より〕
 キリストを信じよう、あるいはクリスチャンがキリストを中
心とした生活をしようとするとき、不安や戸惑いを感じてしまいます。また、予期せぬ問題に直面することがあります。
なぜでしょうか? かつての人間中心の慣れたやり方を改革していくことになるから!

 クリスチャンになったら人生がばら色になるのでしょうか?~ 必ずしもそうではありません。世にあっては艱難があります。(ヨハネ16:33) クリスチャンも例外ではありません。むしろ、近視眼的な幸せではなく、本物に気付かせられるためではないでしょうか。

 ヨセフのいいなずけであった乙女マリアはキリストを解任するという御使いのお告げにたいそう戸惑いました。「どうして、そのようなことになりえましょう。」~ 処女なのに子どもが生まれると言われたことに対するマリアの当然の反応です。彼女は自分の身に起こることを受け入れると窮地に立つことがわかっていました。・・・すなわち、ユダヤの律法的風習である石打ちの刑、家族にとっても恥、婚約の解消など。しかし結局マリアは決断します。すなわちその窮地を自分で解決できないことを認め、主にゆだねました。結果として、マリアの賛歌(ルカ1:46~55)に至り、キリストを宿します。マリアは(マタイ5:3)でいう心の貧しい人でありました。その意味は弱さを認め、ゆだねること。

 人々は主に任せるのは「弱くて無責任」だと言います。しかし、自分を良く知っている絶対愛なる方に任せることは無責任でしょうか? 信じるとは任せること。 主はネタをそろえておられます。主は私たち個人に計画を持っておられます。信仰の正念場です。強い信仰が必要でしょうか? ルカ17:6 からしだねほどの信仰があったら・・

 もし順風満帆に自分の思い通りに事が運んでいたら・・・すべて自分でやってしまうでしょう。 私たちに太刀打ちできない問題が起こってくることは、むしろ主に任せるチャンスです。 では、主にお任せすると私たちは何もせず操り人形のようになるのでしょうか? いいえ、主は私たちに分担分を任せてくださいます。 そして、主はご計画を成され、私たちを通して主ご自身に栄光を帰される、すなわち私たちが主をほめたたえるようになります。

「日本文化の中の創造主」    安井 亨師 

1.日本という国、日本人とは
 非キリスト教国、偶像の国、多神教、仏教か神道か?
 進化論一色の国、創造、キリスト信仰の土台がない。

 キリスト者であることと日本人であることは矛盾しませんか?
キリスト者は、日本的なものを排除し、欧米化しなければなり
ませんか? ここで、日本の仏教、神道を見直してみる。

2.お盆とは
 お盆は、旧暦7月15日を中心に行われる祖先祭祀の行事。
 一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義では説明できないとされる。日本古来の民族行事に仏教的盂蘭盆が組み合わさったものらしい。

3.日本人=仏教徒?
寺請制度(檀家制度)―― 1634年 江戸幕府は隠れキリシタンを撲滅させるため、仏教へ転宗させ、寺に所属(檀家)させ、それを拒んだものをキリシタンとして処刑した。
 元々の日本人の信仰は、いのちを始めた方に感謝し、礼拝する、というものが、家の先祖に置き換えられてしまった。(このこと自体、偶像礼拝、原罪)
 いのちを始められたのは先祖ではなく、創造主です。
では、創造主は、この日本にも、ご自身を示してこられたのでしょうか?(使徒17:23~31)

4.日本でも創造主が信じられていた。
 天之御中主神は、古事記では天地開闢の一番最初に出現した神であるとしている。その後、高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。(フリー百科事典ウィキペディアより)――元は、造化三神(創造主)が崇拝されていた。

5.日本文化と聖書の類似性
神話や伝説に聖書との類似点を見る―
*「海幸彦と山幸彦」とヤコブとエソウの話
*茶道と聖餐式の類似性(隠れキリシタンの聖餐式といわれる)
*「いろは歌」に隠されたキリストの十字架 (偶然!?)

6.日本人とは
 イスラエルとの関連も言われることがあるが、聖書によって確実なことは、ノアの子孫~バベルの塔(中東)より離散した一族また、シルクロードの東端であり、中東や聖書の文化、信仰が伝わっていた。何度も、聖書が伝来し、それを政治的に隠蔽してきた歴史が見えてくる。

7.創造主はおられる
 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。・・・天を創造した方、すなわち神(創造主)、地を形作り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。・・・地の果てのすべての者よ。私が神(創造主)である。ほかにはいない。(イザヤ45章15、18、22)

8.偶像礼拝とは
 創造主以外のものを信じ、礼拝し、あるいは頼り、依存すること。よく形のあるものがいわれるが、むしろ、自分自身、自己実現、自分の栄光が偶像となり、そのために自分の能力に頼り、人に依存したりと、完全にはまぬがれない。

9.では、どう歩むべきですか?
 私は何をもって主の前に進み行き、いと高き方の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。主は幾千のお羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神(創造主)とともに歩むことではないか。 (ミカ6章6~8節)

『創造と私たちの信仰』 創世記3章1~9節 

1.進化論の本質
種類を超えて進化した例はない。進化論とは、創造主がいないという前提で、人が真理を決める上での仮説。
アダムとエバの罪とは、『あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神(創造主)のようになり、善悪を知るようになる。5節』

2.祖先祭祀の本質
神道はもともといのちを始めた方に感謝し、礼拝する。いのちを始めた方をご先祖としてしまった。偶像礼拝と言われる。~やはりアダムとエバの罪に準ずる。
その結果としての実 → 進化論、人間中心主義、その他の宗教。

3.漸進創造論
 創造主が長い期間に進化を用いて世界を創造したとする説。進化論に合わせた聖書の解釈。もし進化を通して人が創造されたのなら、アダム以前に大量の死があったことになり、キリストの肉体の死も意味を成さなくなってしまう。

4.偶像礼拝とは
主が定めた境界線を踏み越えること。何が偶像礼拝(原罪)か? 次の点はどうか?
創造主ご自身の存在
創造のみわざの完全さとは
十字架の贖いの完全さとは
聖霊の守りの完全さとは
奉仕の尊さとは

5.人とは、本来
創造主に帰されるべき栄光を奪い取るもの
創造主が用意された恵みを奪い去るもの

6.創造主と私たちの関係は
親子、夫婦の関係
主はこの回復のために十字架で犠牲を払われた。

7.創造され、贖われた私たちの視点は
どこに栄光が帰されるのか!?

『創世記は福音の土台:パウロとペテロの伝道の違いから学ぶ』使徒17:23-26 

* なぜ、人々(日本人)は福音を聞こうとしないのか
これは世界的創造論伝道グループAIG(Answers In Genesis: “答えは創世記に”という意味)の2002年5月のコンファレンスの最後を締めくくったケン・ハム代表の講演テーマである。この講演の終わりに800人の参加者によって日本のことが祈られた。

1)福音とは・・・
 ・ 世界感、人生観の土台は2種類、創造と進化である。
 ・ 福音とは、キリストの贖いの知らせ、良いニュースである。
   基礎となる知識 ―― 創造、罪によって死が入った、そしてキリスト
   力 ―― イエスキリストの十字架と復活
   希望 ―― 完全な贖い

2)つまずきの石
   私たちは十字架につけられたキリストを述べ伝えるのです。
ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとってはおろかでしょうが。(第1コリント1:23)  
① 創造が土台の場合 ―― 十字架がつまずきとなった。
―― ペテロのユダヤ人に対する伝道:
ですから、イスラエルのすべての人々はこのことをはっきりと知らねばなりません。すなわち神(創造主)が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。    (使徒2:36)

 ② 進化、偶像が土台の場合
・ 例えば、日本の神々: 「こんばんは、神について話をします。」というと、ほとんどは偶像の神々を想像する。
・ 悔い改めよ! イエスがあなたの罪のために死なれたというと、何と奇妙な考えなんだろうと反応する。
―― すなわち、聖書、創造の土台がない。当時の異邦人(ギリシャ人)と同じ。   (使徒17:18)
・ パウロのギリシャ人に対する伝道
あなたがたが知らずに拝んでいるものを教えましょう。(使徒17:23)
   この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神(創造主)は、(使徒17:24,25)
   神(創造主)はひとりの人からすべての国の人を造り出して、・・(使徒17:26)
  ・ 今の日本文化は当時のギリシャに重なる。(偶像と進化論)
    ――― 土台の入れ替えが必要 -→ 創造は福音の土台です!

 3)キリスト教国と言われたイギリスの現状
  ・ 教会は40年以内に死んでしまう。・・・創造の土台を失ってきた。
拠り所がこわされたら正しいものに何ができようか。 詩篇11:3

 4) 進化城と創造城
  ・ 社会問題は進化論・人間中心主義(人が真理を決める)の実
    キリスト者も拠り所(創造の土台)を攻撃1?
   ――― 創造からの福音伝道で進化論のいばらを刈り取ろう!

『ノアの箱船』 創世記6章9~22節 

1)世界中によく似た洪水伝説がある!
   ギルガメシュ、インド、バビロン、ギリシャ、ペルー、
中国、太平洋の島々、オーストラリアなど。

2)箱船はどんな?
   聖書に基づいて描いたノアの箱船
   箱船の大きさ: 143m (1万5千トンのタンカーくらい)
   恐竜の「種」は50くらい。大きな恐竜ばかりではないし、子供の恐竜でよい。

3)地上の全ての動物が入れたか?
   多く見積もって16000種(創造の種類)、平均すれば羊より小さい。
   箱船の容積:132x22x13.2=38300立方メートル
   大型バスの容量: 10x2.5x3=75立方メートル
   すなわち大型バス510台分
   羊5万匹乗せるには14000立方メートル必要なので、箱船の中で動物が占めるスペースは36.5%

4)聖書の洪水の記述
   ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。       (創世記7章11節)
   水はいよいよ地上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も全ておおわれた。(創世記7:19)
   こうして、主は、地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただ、ノアと、彼といっしょにいたものたちだけが残った。水は150日間、地の上にふえ続けた。(創世記7章23,24節)
   (ノアの洪水:アッブール、局地的な洪水:ナーハール(移動すればよかった))

5)洪水後の世界
   アララテ山に箱船が漂着し、全世界へ、動物たちが繁殖し、移動した。例えば、犬のつがいから、多くの犬の種類が分かれ出た。(遺伝情報の減少により、進化ではない)人間も、ノアの家族(八人)から、全民族が分かれ出、全世界へ移動した。
   地球環境が変わり、生物の寿命の短縮が始まる。洪水後、氷河時代に入る。

6)まとめ
人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。(ルカ17章26)
   この世界はノアの洪水の爪あと(創造主の裁きのあと)が残されている。(全世界規模で存在する水で堆積した地層や、おびただしい数の化石(死骸))ところが、創造主は裁きとともに救い(箱船)を用意された。いずれ、この世界は裁かれる。しかし、創造主は、もうすでに救い(キリスト)を用意された。

  私は門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら救われます。また、安らかに出入りし、牧草を見つけます。     (ヨハネ10:9)

創世記から福音書を見る 「彼らの信仰を見て」 

 この箇所では、屋根から、中風の人の寝床を、ちょうど人々 の真ん中のイエスの前につり降ろすという話が記録されている。
 イエスは、「子どものように神(創造主)の国を受け入れるものでなければ、決してそこに、入ることができません。」(ルカ18:15~17)と言われた。
 子供は、一度信頼すると、一心不乱に飛び込んでくる。疑うことも、遠慮することも知らない。神の国はそのような者の所であると教えられた。このルカ5:18~26に記された中風の人の話は、そのことを具体的に示されたと思われる出来事である。
 中風をわずらっている人とは、今でいう卒中か脳梗塞などで、自分の意思どおりに身体を動かすことができなくなった人のこと。彼は自分の将来の希望を全く失った。しかし、良き友がいて、彼をイエスのところに連れてきた。 ただイエスのところに行きさえすれば希望があると思ったからであろう。彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
 彼らは、中風の癒しを求めて来たのだろうが、イエスはまず罪の赦しを告げられたことは、奇妙な印象を受ける。しかし、創造主イエスが人となってこの地上に来られた最大の意味は、私たちの罪の赦しのために身代わりに十字架にかかることであった。 イエスにとっては一時的な肉体の癒しより、罪を赦すことが優先であった。
 では、なぜ、私たちは赦される必要があるのか? (前回の最初と最後のアダム参照)
 創造主である父は人を造られた。しかし、最初の人であるアダムとエバ(その子孫である私たちも)は創造主である父から離反してしまった。 それで、父は、そそのかして人質としたサタンと共に彼らが永遠に生きないように死を起こされた。(創世記3章)父は私たちを愛するがゆえに、御子キリストをその罪の身代わりの罰として十字架に付け、私たちを返還させる身代金とした。父はすべて準備を整えて、ただ私たちが何の取引、交換条件なく父の元に返ることを待っておられる。
 このことから、私たちが救われる必要がある罪とは、創造主から離れたこと。逆に、罪赦されるとは、ただ創造主のところに来る(帰る)ことである。
 イエスは、“彼らの信仰を見て”、「友よ、あなたの罪は赦されました」と言われた。
 イエスは、創造主ご自身である。イエスは彼らが、ただ、イエスのみに希望を見出して、イエスのところに行きさえすればという信仰を見て取られたのだろう。イエスは「心が貧しい人は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:3)と言われた。中風をわずらったその人は、全く希望がなく(心が貧しい)、イエスにのみ希望を見出そうとし、イエスのところに行こうとした。 彼は、自分で何でもできると思っている人よりも、その最も大切なことがわかりやすかったかもしれない。
 中風の人を連れてきた友人たちも罪が赦されたのだろう。友人たちは、身近に関わったこの中風の人を、なんとかしてやりたいが、自分にはできない。そのとき、彼らは彼をイエスのところに連れてきた。 イエスが教えられた祈り、すなわち、旅人に差し出すパンがないとき、・・・(ルカ11:5~13)と同 じことを実践している。
私たちは、よく錯覚する。救われるためにまず、自分を整える必要を、あるいは救われてからも、主のために何か際立った大きなことをすべきだと考え、がんばらなければというプレッシャーを感じることがある。
 しかし、救いは、自分が救われなければならない存在であることを知って、ただ、イエスのところに来ること。そして、私たちの人生の歩みは、自分に関わった人の必要が見えるが、自分にはそれを満たしてやるものがない。そのときに祈り、あるいは、共に主イエスのところに来ることではないだろうか。

『最初のアダムと最後のアダム』 

1.幸福は築き上げるものですか?
1)同時多発テロ事件……なぜこのような事件が起こるのか。思想を用いた人間(自己)中心主義、自分や組織が高められることを目指す。時には宗教や神々の名を用いて自分が高められることを目指す。
2)人の性質……人間の力で幸福を築けるという信仰をもって、創造主を認めず、この世での自己実現を人生の目的とする。
3)幸福は築き上げるものですか?……どの時代の人も知恵を絞ってやってきた。しかし歴史が示すように、結局は争いが繰り返されてきた。We are the World の歌にあるヒューマニズム。
4)聖書はどう言っていますか?(人生の地図)……人は最初あった幸せを逆に壊してきた。(堕落)そのままでは滅びに至る。自力救済不能。なぜそのようになってしまったのでしょうか。

2.最初のアダム(創世記3章)
・ エデンの園:いつも創造主と一緒、死は無く、病気もないすばらしい世界。創造の目的が達成されている世界。
・ 善悪の知識の木:主はなぜそのような木を置かれたのでしょう?……愛とは何をしてもよいということではない。
・ サタンの誘惑:創造主から離れ、自分で善悪を作り出して歩む誘惑 自己で自分を高める誘惑。主から目を奪い、主から、そして創造の目的から離脱させること。
(サタンと地獄について イザヤ14章12~13節)

・罪とのろい:最初の死、死は罪ののろい。神(創造主)が愛なら、なぜ死があるのですか?……人間はサタンの人質状態。死(肉体とたましいの分離)が必要になった。創造主(イエス・キリスト)ご自身が身代わりに十字架にかかることが前提。

   ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、―― それというのも全人類が罪を犯したからです。(ローマ5章12節)

3.最後のアダム
・ イエス・キリストの十字架(最後のアダム): 主は私たちを放っておかなかった。創造主ご自身が人質の身代金となって十字架で死なれ、罰を受けるべき私たちの身代わりとなられた。そして三日後によみがえられた。そのことを信じる者に新しい永遠の命を与えて神、すなわち創造主のもとに回復してくださる。

  私たちはみな羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザヤ53章6節)
  アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。         (1コリント15章22節)
・ アダムとエバの恥を被うため主は動物をほふってその毛皮を着せてくださった……最初の死がキリストの犠牲の最初の雛形
・ ではどうすればいいですか?:キリスト・イエスの十字架と復活を信じ、救われて、主との親しき心の交わり、主を信頼し共に歩ませていただくことを通して主がご自身に栄光を帰す……創造の目的
      
   なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神(創造主)はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこういっています。「彼に信頼するものは失望させられることがない。」(ローマ10章9-11節)

『万物の始まり』 

1.創世記一章(万物の創造についての記述)
第1日 天、地球、光   第2日 上の水、大気、下の水
第3日 陸地、植物    第4日 太陽、月、星
第5日 水棲動物、空の鳥 第6日 陸棲動物、人間
第7日 休息、完成祝い
――― 進化論思想(知性なしに偶然に生命が発生したとする考え)と矛盾・・・ しかし、――― 例えば、土の中に矢じりを発見したとする。―― 偶然にはできない!
長い時間かけてもできない。なぜなら、目的、デザインが存在する。

2.生物学とは?
*生物学とは、あたかも目的をもってデザインされたかのような複雑なものを研究することである。
*もし、あなたが進化論、すなわち、生物はデザインされたように見えるが、実はそうではない、という考えを教えようとするなら、もう一つの可能性があることを知っておくべきである。 それは、生物がデザインされたように見えるのは、それらがデザインされたからである、ということ。 
 
3.DNAに書かれた遺伝情報
生命体はいかなる人工物よりもはるかに複雑な構造を持つ。 設計図となっているのはDNAで、大量の遺伝情報を最も効率よく格納している。
 ヒトのすべての細胞にあるDNAのはしごは約30億段で、500ページの本1000冊分の情報を持っており、四つの塩基A、T、C、Gの並びが暗号情報となっている。

4.生命の起源
生命の起源、DNAはDNAからしかできない。では、どのように最初のDNAができたか?
 文は文字の配列である。特別な配列(ことば)に意味(情報)がある。ではDNAの配列(情報、ことば)はどこから来たのか?

初めに、ことばがあった。ことばは神(創造主)とともにあった。ことばは神(創造主)であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 (ヨハネの福音書1:1~3)

この方、すなわち、御子(イエス・キリスト)は創造主であられる!

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も王権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。  (コロサイ1:16、17)

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